転勤妻/社畜夫 奮闘記

【社畜夫の奮闘記】仕事がつらい、仕事を辞めたいと思ったとき。転職の前にやるべきこと。

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こんにちは!30歳代 会社員の ムキです。意外にも 大企業で 技術営業(アプリケーションエンジニア?)をしています。社員数は数万人で、東証1部上場企業です。人並に出世の道を進んでいます。

もちろんお仕事は楽ではありません。理不尽なコト、辛いこと、嫌なコト、たくさんありますが、何とか、自分の中で折り合いをつけています。ですが、「もう限界」だと感じたことは 2度ありました。ぼくの場合は、部門方針への違和感や 人間(特に上下)関係が原因でした。

「もう限界」と感じたとき、転職 の選択肢も、頭に浮かびました。このご時世、転職経歴は当たり前ですし、むしろ転職経験がある方が良いという潮流すらあります。ですが、転職にはリスクやデメリットもあります。

ぼくは、結果として、転職しませんでした。「交渉」によって、問題を解決することが出来ました。どうしてそのような判断をしたのか、ぼくが何をしたのかを、お話したいと思います。

 

目次

・仕事を辞めたいと思ったとき

・具体的事例

・やったこと と その結果

・まとめ

 

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仕事を辞めたいと思ったとき

社会貢献を通して お給料をもらい、自己実現につなげていくということ、これが仕事をする意義だと、ぼくは考えています。仕事そのものが自己実現につながれば、なお、良いことだと思っています。

会社に入るとき、誰しもが、同社の理念に共感して、この会社で社会貢献をして、お給料をもらい、いずれ自己実現をしていくんだ、という思いをお持ちだったと思います。

この 前提条件が崩れたとき、人は「仕事を辞めたい」と感るのだと思います。例えば、こんなときではないでしょうか(ぼくの場合は、こんなときでした)。

●御前会議や必要以上の業務指示で 過度の残業を強いられ、何のために働いているのか分からなくなったとき

●会社の理念に反して、パワハラやモラハラが横行しており、社員が 社会のためではなく、自己保身のために働いており、自分もそれを強いられ、あらがえないとき

●上司(部下)や同僚との 方針に相違があり、業務が円滑に進まず、ときには、いじめとも考えられるような言葉をあびさせられたとき

 

具体的事例

ぼくが 体験した実話を、簡単にご紹介させて頂きます。

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ぼくが 入社して 5年目のころでした。ぼくが所属する A事業部門のトップに 40歳過ぎの役員候補のBさんが 抜擢されました。どんな仕事もこなせて、頭も切れる、そのような方でした。A事業部門は 数年 業績不振に悩まされており、その立て直しを任されたようでした。

Bさんが 事業部門長になってから、”若手・中堅テーマ討論会”という名の御前会議が発足されました。係長・平社員が、月次で、4人ずつくらい、輪番で、業務報告をして、事業部門長に ボコボコに言われるという会議でした。

「どうして、こうしないんだ」「一体 何がしたかったんだ」「今すぐ こうしろ」「ちゃんと考えてくれ」「ぜんっぜん分からないから、もう一回教えてくれ」などなど、若手・中堅に対する罵声の連続で、かつ、同席の部長・課長は、全く部下を守らない始末でした。

ぼくも、平社員として、数回発表しました。それはもう、ボコボコにやられました。でも、もっとボコボコにやられて泣いてしまう人すらいました。もはや人格否定でした。部長・課長が助け舟を出すコトは決してありませんでした。なぜなら、その瞬間に標的が代わるからです。

やがて、同事業部門は、B事業部門長が全てを意思決定を出来るように 組織体制が変更され、形式上は 一本鎗のようになりました。B事業部門長の 意向と違う考えは全て排除されるため、誰も B事業部門長に意見を言えなくなり、B事業部門長以外に 判断出来る人がいなくなったためです。

ですが、本来の一本鎗のような 効果は全くなかったと思われます。A事業部門の業績は 全く改善されず、むしろ、悪化が加速していきました。実務の主力メンバー(係長)が、次々と退職していきました。ぼくも、そうこうしているうちに 係長になり、引き続き、ボコボコにされる日々を過ごしていました。

わたしたちの判断基準は B事業部門長でした。「それをやったらB事業部門長に怒られないか」「B事業部門長は 何て言っていたっけ」「●●課長が B事業部門長に ▲▲で怒鳴られたらしい」「次は 〇〇部長がやられる番らしいぞ」「B事業部門長は 来週 海外出張みたいだぞ、よっしゃあ」・・・こんなのが 日常会話になっていました。

ぼくも、いつの日か、社会貢献や 自己実現のことを忘れてしまい、B事業部門長に怒られないようにすることに必死でした。当然、これが狂っていることには気づいていますが、慣れてしまい、また、恐怖に押さえつけられて、行動を起こせずにいました。

引き続き、係長が 1人、また1人と辞めていきました。あるとき、一緒に仕事をしていた同僚が とうとう うつ病になり、会社に来なくなりました。いつも、慰めあい、愚痴を言い合っていた仲間でした。そのとき、ようやく気付きました。次は自分の番だと。

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やったこと と その結果

このとき、ぼくが考えた選択肢は 次の3つです。幸い、ぼくの勤め先は、多事業部門で構成されていましたので、他で活躍の場を探すことは、そこまで難しくありません。よって、「転職活動」の選択肢は、3番目でした。

①上司に異動願いを出す(チャレンジしたい仕事があることをポジティブに伝える)

②人事に移動願いを出す(チャレンジしたい仕事があることをポジティブに伝える)

③転職活動

 

普通だと思われますが、精神的に追い詰められた人は、①と②を飛ばしてしまうようです。実際に、転職をした 係長はこう言っていました。「もう、疲れた。この会社にいたくない。社内転職できたとしても、いつどこで誰に会うか分からない。人間関係をリセットしたい。」と。

ぼくは、まだ冷静な部分が残っていましたので、①と②と③を同時並行的に進めることにしました。それと、①と②は、ネガティブな理由によって 異動させて欲しいことを伝えるのではなく、正当な動機をもって、相手側のメリットも示しつつ、「交渉」をするということです。

①が上手くいかないことは分かっていましたし、案の定、上司に相談をしたところ、失敗に終わりました。「ちょっと待ってくれ、折を見て相談を進めるから」的な回答でしたが、いつになるかも、本当に動いていくれるかも分かりませんでした。

②は成功すると思っていました。人事部門は適材適所の人材配置が仕事の1つであり、社員のチャレンジを促すことも 重要な観点であるためです。結果として、②が成功して、数か月後に移動となりました。チャレンジ枠であったため、特にわだかまりなく、A事業部門から 抜け出すことが出来ました。

③は、社会勉強や情報収集を兼ねて、また、あわよくば、自分にとって、より意義のある会社が見つかれば転職もありと考え、積極的に活動をしました。結果として、今の会社より 意義があるところは見つかりませんでした。いくつかの点を妥協することになりそうでしたので、最終手段として置いておくことにしました。

 

選択肢②は、あっさりと話が進みました。とても単純な交渉でした。簡単に言いますと、以下のような相談をしました。もちろん、ケースバイケースですので、ご参考程度です。

「わたしにはチャレンジしたいことがあります。もちろんこの会社で、チャレンジして、その結果として、今までお世話になってきた この会社に貢献したいです。だから、〇〇部門で△△の仕事をしてみたいです。けれども、自己都合であることも分かっています。出来ればこの会社でチャレンジしたいですが、難しければ、他の選択肢を探さざるを得ない点は、ご了承いただければ幸いです。」

今思えば、人事部からすると、 ”これ以上 A事業部門から 人材を流出させてはならない”という、懸念は大きかったのだと思います。この交渉から、ぼくが異動するまでは、あっという間でした。

そして、その数か月後 B事業部門長は失脚して、C事業部門の 調達部長に異動となり、A事業部門は D事業部門に吸収合併されて、業績不振を影に隠す形となりました。

 

まとめ

今、思うと、ぼくの異動交渉の成功は必然であったと思います。そんな状況下においても、「上司の指示だからしかたない」「自分がもう少し仕事が出来れば」と思い詰めて、転職したり、うつ病になったりする人が後を絶ちません。

日本人は、”交渉をしない”のが、大きな欠点です。自分が望まない状況に陥ったとき、自己実現のために、自分が少しでも前に進むために、会社に対して交渉をすれば良いのです。もちろん、交渉内容は重要であり、駄々をこねるのはNGですが、相手が日本人の場合、比較的スムーズに交渉は進むと思います。相手も交渉慣れをしていない日本人です。

何かを諦めたり、自分が退いたりする前に、一度 強気の交渉に出てみても良いと、ぼくは考えます。もちろん、自分の退路を確保しながら、慎重にです。今、転職をお考えの方、ご一考頂ければ幸いです。

 

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終わり